狛犬の鳴き声

近江八幡のまちづくりに取り組む中で、考えたこと、学んだこと、もやもやを記す内訟録。

誰かのためになること、助けになることを幸せだと思う/『SQ “かかわり”の知能指数』

■これからの社会を考える鍵「SQ」

◎誰もが手助けを求めている P245〜

社会学というモノは、伝統的な農村社会で持っていたような「密な絆」というのを失ってしまったけれども、その代わりに他人と協力して、広い範囲でいろんな、これまではできなかったたくさんの仕事を分業しながら協力していくことができるような、そういう社会を理想化して考えてきました。
僕がSQという概念で述べているのも、基本的には、この社会学の100年ぐらいの歴史の中で挙げられている、そうした発想とそんなに変わりはありません。

ただ日本の場合は、自分たちの社会が、黄金時代につくられた核家族世帯と、その核家族世帯が市場を通じて様々な困難を解決していくような、そういう環境を理想とする発想から依然として出られていない。社会学が100年前から考えてきたような、多様な人々の多様な役割に基づいた協力関係、それも身内意識による、仲の良い間柄の協力関係ではなくて、「袖振り合うも多生の縁」程度の人たちと、少しずつ手を貸し合って、自分のできる範囲で貢献をしていくような、そういう関係を築いていく必要がある。

 

本書の中で、アンケート調査結果から「できる範囲での手助け」が幸せの秘訣という結果が出ている。自分だけしか考えない自己中心的なことよりも、他者貢献の方が幸福度が高いということは理解してい。しかしその範囲は、地球規模や世界というような広範なものがより良いというわけでなく、適切な手の届く範囲というのが幸福の秘訣とのことだ。

SQという概念で提案するこれからの社会の関係性の価値観として、「袖振り合うも多生の縁」という、密な関係性の少し外側だが、顔は見たことがある地域の人というような関係性に注目している。

 

こういう感覚が、僕には非常にしっくりとくる。

もともと、新興住宅地で生まれ育ち、土着的な血縁の近い地縁があるような地域ではなく、しかし適度な田舎としての顔の見える関係性の中で生活を送る。

もしも緊急事態が起きたら、すぐに声をかけられる関係性。それくらいがちょうど良い距離間だと感じている。

今後、地方への移住を促す際に、このような適度な距離を設けた地域ネットワーク作りが必要だと改めて確認できた。