狛犬の鳴き声

近江八幡のまちづくりに取り組む中で、考えたこと、学んだこと、もやもやを記す内訟録。

行政と民間の本気の蓄積/『にぎわいの場 富山グランドプラザ—稼働率100%の公共空間のつくり方』

■ロマンではなく、前かがみな想いが重なる協働

【はじめに】 P5〜
・ポール・ズッカー著書『都市と広場』の冒頭
「広場は、疑いもなく、絵画、彫刻、あるいは個々の建築作品と同様、「芸術」である。広場の解放された空間、周囲の建造物、その上に広がる空が織りなす独特な関係は、他のいかなる芸術作品から受ける感動にも劣らない本物の感動を味わわせてくれる」

ヨーゼフ・ボイス
「どんな人間も芸術家である(中略)どんな人間も社会の変革のために働ける(中略)誰もが、自分自身の考えによって、本当の意味で自らの創造力を共同体に提供することができるのです。」

著者が冒頭で引用する2人の言葉。

広場に対する眼差し、創造的な場にしようとする志しを感じるコトバだ。

 

「広場」はただ都市の余白として用意するだけでは何も生まれない。

人々を魅きつけ、その地域周辺の人々が利用する。そこはあかの他人が集まるというよりも、知っている顔の人たちが利用する場。程よい距離感と自分たちが居心地のいい場。

このような何気ない広場のイメージは、高度に設計されつつ、実践を通した試行錯誤の蓄積から生まれる日常の風景、つまり作品である。

 

「中活はどこも成功していない」と年配の方々はよく知ったようにものをいうのを耳にする。だが、確実に新しい世代が地方で魅力ある取り組みを展開している。他人のコトバをそのまま鵜呑みにしてはいけないな。

 

にぎわいの場 富山グランドプラザ: 稼働率100%の公共空間のつくり方