狛犬の鳴き声

近江八幡のまちづくりに取り組む中で、考えたこと、学んだこと、もやもやを記す内訟録。

もっとも頼りになる資質は「人柄の良さ」/『評価と贈与の経済学』

■イワシ化する社会

岡田「イワシって小さい魚だから、普段は巨大な群れになって泳いでいる。どこにも中心がないんだけども、うまくまとまっている。自由に泳いでいる。これは見事に、いまの日本人なのではないかと。そのときの流行りとか、その場限りの流れだけがあって、価値の中心みたいなものがなくなっているんじゃないかなと思いますね。」p24

そういえば、スイミーってイワシなのかな。

 

合気道と掃除。そして人柄

岡田斗司夫氏の「評価経済社会」が本棚で積読状態だが、たまたま書店で見つけた内田樹先生との対談本から読む。

やはり、内田先生おもしろい。合気道と掃除への考察が印象的。

掃除は昔から好きだが、日々の生活の中で繰り返す無意味性に対し、やはりおろそかになることもある。これからは宇宙を感じる壮大な流れを掃除で感じよう。

内田「(中略)格闘技って努力目標が世界ランキング何位とか、勝率がいくらだとか、年俸がいくらだとか、そういう数値ではっきり計量される単純な世界になってるでしょう。でも、本来の武道は強弱勝敗巧拙は論じない。 そうじゃなくて、ひとりひとりのパーソナルな身体的な潜在能力をどこまで開発するかを研究する。(中略)努力と報酬の相関関係が可視化されていないという点でゆくと、合気道は「欲望の尻尾」が見えない武道だね。」p40

 

内田「(中略)掃除やってると、人間の営みの根源的な無意味性に気がつくんですよ。『シジフォスの神話』とおなじで、掃除って、やってもやっても終わらない。せっかくきれいにしても、たちまち汚れてしまう。創り上げたものが、たちまち灰燼に帰す。だから掃除していると、「なんて無意味なことやってんだろう、オレらは」っていう気分になる。それがたいせつなんですよ。「なんだよ、掃除ってエンドレスじゃん」て気がつくことが。そのとき初めて、意味がないように見えるものの中に意味がある、はかなく移ろいやすいもののうちに命の本質が宿っているということがわかる。
(中略)ぼくが知る限り、掃除ほど効果的に人間の宿命や世界のありように気づかせる方法ってないような気がする。」

 

終盤、「クラ交易」の話から、「最後は人柄」の重要性について議論が展開する。クラ交易における最も高いポジションは、つまり多くの贈与を受け、与える人。

 

評価と贈与の経済学について、二人の対話があちこちに展開しつつも、最後は同じ方向を向いていく。思考のアプローチがまったく違う二人だと思うが、新しい経済に対する試みと考えは同じ方向にいくということが、面白く、そして自分の考えの再確認となった。