狛犬の鳴き声

近江八幡のまちづくりに取り組む中で、考えたこと、学んだこと、もやもやを記す内訟録。

住み開き

寝食する場を共有する

大学に入ったばかりの頃、北関東の田舎から関西の辺境へと移り住み、「言葉も文化も違う異国とはこのことか」と思いつつも、本当にたくさんの人たちを6畳間のアパートに呼び飲み会をしたものです。

最大20人近く集まったこともあり、今考えると本当に隣と上の住人には大変申し訳ないことをしていたと反省いたします。

 

なぜ当時、そんなに人を読んで鍋をつついていたのか、正直謎です。

気がつけば毎週課題を提出すると人が集まり、次の日の朝には掃除をしていたなと思います。なんだか文章にしためながら、苦行なのではないかと感じ始めていますが、当時は決してそんなことはなかった。とにかく、いろんな高校から、地域からやってきた人たちの話を聞き、なにかに共感し、笑うあの時間は楽しかった。

 

住み開き―家から始めるコミュニティ

昨日、彦根でのアサダワタルさんのトークイベントに参加してきました。事前に『コミュニティ難民のススメ ― 表現と仕事のハザマにあること ―』を拝見させていただいていたので、もう一冊の著書は会場にて購入。折角なので、サインを頂けばよかったと今更ながら思います。 

住み開き―家から始めるコミュニティ

住み開き―家から始めるコミュニティ

 

 ○「共異体」三浦展

①成員が固定的でなく、束縛されない。
②空間的に束縛されない。
③時間的に限定的である。
④共異体同士は排除し合わず、競争しない。
 
■住み開きからネクストへ
「住むという行為自体を開く」という発想へ。
1日24時間における様々な行為をどのようにオープンソース化し、シェアしていくかであり、その答えは「住み開き」をネクストステージに向かい合わせるプロセスの中に存在することを知った。

 

食寝をする家を開く様々な草の根的な取り組みについて、主に関西を中心にたくさんの事例が紹介されています。それぞれ、特色を持った空間が印象的だが、内容を読むとオーナーの気質、性質が色濃く反映されたコミュニティと空間のほうが魅力的に感じます。

 
この書籍を通じて、改めて著者のアサダさんの広い人脈に驚かされます。音楽からアート、建築、都会から田舎まで領域横断的な関係性の広さと深さを、インタビューの言葉からも感じます。まさに、人脈の多様性から新しい表現が生まれているのだと、トークイベントでも感じました。
 
最後には、家という空間を開くことから、住むという行為を開くということへ展開を提示し締めくくられています。家というのは洋服と同じで、一番大きなコートのようなもので、まさに自分の趣味や性格を表現する一つのファッションでありツールのような空間です。家を開いて未知のコミュニティを求めるというよりも、自分自身どんな新しい可能性、多様性を獲得することができるのか。つながりを求め開くという受け身な感覚というよりも、どんな人と関係性を築いていきたいのか。
 
さて、いまの自分自身は、一体どんなコミュニティを築きたいのだろうかと問われているようだ。誰と深い関係を築くことが心地よいのだろうか。
幼少期を過ごした地元ではないこの地域において、懐かしい話しで盛り上がるようなコミュニティは作れないのはどこか寂しくもある。
 
春が近ずくにつれて、どこか新しいことにチャレンジしたい気持ちになる。

今年はいま生活している大きくて素敵な洋館を活かして、新しいことをはじめたい。バーベキューとダッチオーブンに磨きをかけたいし、木工もしたい。