狛犬の鳴き声

近江八幡のまちづくりに取り組む中で、考えたこと、学んだこと、もやもやを記す内訟録。

どう生き、どう死ぬか/『生き方―人間として一番大切なこと』『働き方―「なぜ働くのか」「いかに働くのか」』

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ひと月前に読んだ稲盛本の読み返し。原理原則に立ち返るエッセンスに満ちた本。

■「生き方」と「働き方」

「私の成功に理由を求めるとすれば、たったそれだけのことなのかもしれません。つまり私には才能は不足していたかもしれないが、人間として正しいことを追求するという、単純なしかし力強い指針があったということです。」p17〜

 

「働くということは人間にとって、もっと深遠かつ崇高で、大きな価値と意味を持った行為です。労働には、欲望に打ち勝ち、心を磨き、人間性をつくっていくという効果がある。」p21〜

書店でロングセラーの第1位ということで手にした一冊。父も電機メーカーの工場で勤めていたことから、京セラの稲盛氏の働くことへの哲学について興味深く拝読した。

 

 

■どう生き、どう死ぬか

ひと月前に参加したセミナーで、一際鋭い意見を述べられる先生の言葉が頭のなかで反響していた。

  • 自分がどう生き、どう死ぬのか。組織に属する人間ほど深く考えることをやめてしまっている。
  • 資本主義によって、誰かに頼らなくてもお金があれば生きていけるという錯覚が生じている。本来、人間は共依存関係の上で成り立っている。
  • 各個人のつくりたい未来を持ち、どう生きるかを持つことを深く考える必要がある。その結果、必ず共依存にたどり着く。生き方と仕事が自分ごとになる。

上記については、ビジネス本や自己啓発本などをたくさん読んでも答えが出るものではない。むしろ、書籍を手段に自分自身を深く見つめることが必要である。

現時点で、自分自身がどう生き、どう死ぬかという問いに対し、簡潔に答えられるコトバは持てていない。回りくどく、ながながと考えを話すことになってしまう。

 

しかし、地図はないが、コンパスは持っている。服やモノの好み、身につけるもの、生活する空間、どんなライフスタイルを送るのか、そういった一つ一つの選択が自分という生き方を表現していると感じている。

いまいる自分の職場や生活は、いろんな縁があってこそである。野菜を配り合うようなわかりやすい依存関係ではないが、自分を成長させてくれるかけがえのない環境であることは間違いない。

 

 

とにかく、いまいる環境でできることを粛々と実行すること。いま身を置く地域や関係性も含め、環境のなかで自分ができる役割を遂行していきたいと、書籍を通じて再確認した。

 

まちづくり」という仕事は、それ自体ボランティアのニュアンスを含む善行であり、利他行である。なおさら、自己中心的な考えでは上手くいかないことは明白である。

いま、ここで働くということがすでに修行であり、地域への丁稚奉公である。

 

■仕事や人生を実り多きものにしてくれる、正しい「考え方」

最後に、「働き方」の終章から引用。

「仕事や人生を実り多きものにしてくれる、正しい「考え方」」ということで、自分自身と照らし合わせて考えていきたい。

常に前向きで、建設的であること。
肯定的であること。
善意に満ちていること。
思いやりがあって、優しいこと。
真面目で、正直で、謙虚で、努力家であること。
利己的ではなく、強欲ではないこと。
「足るを知る」心を持っていること。
そして、感謝の心を持っていること。

生き方―人間として一番大切なこと

生き方―人間として一番大切なこと

 

 

 

働き方―「なぜ働くのか」「いかに働くのか」

働き方―「なぜ働くのか」「いかに働くのか」